| 文久3(1863)年 <容保29歳> |
| 4月 | |
| ◆4/1(5.18):【京】会津藩公用方大野英馬、高松保実に朝廷内情の報知を依頼 | ◆4/2(5.19):【慶喜、中川宮に石清水行幸を諌止/残留浪士、大阪豪商で押借り? ◆4/3(5.20):【京】諸大名の参勤は京都・江戸折半にするようにとの朝旨/長州藩世子毛利定広、帰国の挨拶に二条城に。将軍家茂に摂海防禦指揮を進言し、対馬防禦のための軍艦兵器の貸付を求める/ ◇4/4(5.21):【京】残留浪士、精忠浪士と記される(新選組の「誠忠」は?&伊東」の号「誠斎」) ◆4/5(5.22):【京】慶喜、鷹司関白に石清水行幸を諌止。 ◆4/6(5.23):【京】長州藩、石清水行幸中止に反対/石清水行幸時の心得が発表される ◆◇4/7(5.24):【京】定広、参内。帰国の勅/ ◆◇4/10(5.27):【京】孝明天皇、行幸延期を希望するが容れられず/将軍家茂、発熱を理由に供奉辞退/残留浪士芹沢と土方らの志の差が問題化/【長】高杉晋作(東行)、京都から萩に到着。松本に隠棲。 ◆4/11(5.28)【京】:水戸藩主徳川慶篤、江戸到着 ◆4/13(5.30):【江】江戸で清河八郎暗殺 ◆4/16(6.2):【京】長州藩、時務策を朝廷に建言【長】藩主敬親、山口に移る ◆4/19(6.5):【京】将軍東帰(12)慶喜、攘夷期限を5月10日と内定 ◆4/20(6.6):【京】将軍東帰(13)&攘夷期限()幕府、攘夷(拒絶)期限5月10日と布告/朝廷、定広に明21/帰国の沙汰 ◆◇4/21(6.7):【京】長州藩世子毛利定広帰国/【江】生麦事件償金支払決定 ◆4/22(6.8):【京】/孝明天皇、中川宮に薩摩を上京させよとの密勅/ ◆4/25(6.11):【京】激派公卿姉小路公知、大坂湾巡視。開国説へ/ |
| ◆◇4/2(5.19):【京】将軍参内。容保、慶喜・老中らと随従。中川宮、容保に将軍警護の必要を告げる | |
| ◆4/3(5.20):【京】三条実美、京都御守衛御用掛就任/幕府、同年の京都守衛諸侯及び警衛担当時期を通達/ | |
| ◆4/9(5.26):【京】二条城に石清水行幸に変事を示唆する張り紙/容保、将軍供奉とりやめを諌止/清河ら、偽浪士を捕縛。鳩首。また、野村左兵衛を慶勝に遣わし、相談する(七)。 | |
| ◆4/11(5.28)【京】:石清水行幸将軍「病」のため供奉せず)。夜半に皇親王誘拐の飛語あり、会津藩非常の警戒に就く(七)。容保、慶喜を批判する(守) | |
| 4.16−容保、浪士組の試合を上覧。(詳しく) | |
| 4.17−容保、藩士の発見した将軍誹謗の落書を二条城の老中に提出(七)。浪士組近藤の「天狗」が「水会利一存んの意図に」なりかねないと記される (詳しく) | |
| ◆4/18(6.4):【京】将軍東帰(11)&生麦賠償(20)幕府、将軍退京&攘夷のための後見職慶喜東帰を奏請 容保反対する(七)。(詳しく) | |
| 4.21−将軍下坂。容保の実兄尾張藩徳川慶勝、将軍輔翼に任命される(七)。公用局・広沢、壬生浪士を引率して将軍警衛。(詳しく) | |
| ◆4/22(6.8):【京】慶喜、破約攘夷実行のため江戸へむけて出立(会津藩の反対聞き入れられず) | |
| 4.23−容保、登城の帰途、二条右大臣別邸で遊興(七)。 | |
| 4.25−秋月悌次郎、幕府御側御用取次村松出羽守に将軍滞京を主張。(七)(詳しく) | |
| ◆4/26(6.12):【京】容保の説得で徳川慶勝将軍輔翼就任 | |
| ◆4/28(6.14):【京】会津藩、近衛前関白の依頼により、朝倉幸之助捕縛に加勢。孝明天皇、激怒し、関白・議奏伝奏の参内を停止。 | |
| 5月 | |
| 5.1−容保、馬上にて八幡山崎砲台修築現場を視察(七)。 | |
| 5.7−幕府、守護職の役料として年二万俵を渡すことを決定(七)。 | |
| 5.14−御所隣地の火事。容保、自ら兵を率いて御所警備にあたる(七)。 | |
| 5.20−朔平門外の変(姉小路公知暗殺)。容保、御所九門全門警備担当を朝廷に申し出。(詳しく) | |
| 5.21−朝廷、御所九門警備を諸藩に命ずるが会津藩は除外。 朝命により、会津藩士、薩人田中新兵衛逮捕 (詳しく) | |
| 5.22−容保、再び御所警備担当を朝廷に嘆願。水戸藩にかわり蛤門警備を命ぜられる(守)。*「松」によれば、21日に蛤門・唐門警備を命ぜられる。 | |
| 5.25日−容保、朝命により藩兵を出し、姉小路暗殺犯として田中新兵衛を捕縛させるが、田中預りは辞す(七)。(詳しく) | |
| 5.27−容保、微熱。朝廷より姉小路殺害糾問を命ぜられるが、町奉行の任務として辞す。朝廷、内講六門のうち唐門、清所門、准后門警備を守護職と所司代に命ず。(詳しく) | |
| 5.29−容保、病床。幕府、容保に二万両の貸付を伝える。孝明天皇が前関白に与えた内書を慶勝から示され、容保感泣(七)。 | |
| 5.30−幕府、将軍東帰を決定して後事を容保に託す内命を下す。家老横山主税ら連署して、老中にその不可を陳述。老中小笠原率兵上陸。 | |
| 6月 | |
| 6.2−朝廷、容保を召して小笠原率兵上洛阻止を命ず(詳しく) | |
| 6.3−将軍参内し、東帰・攘夷の勅を得る。容保東帰を止めるが容れられず。容保、使者を送って小笠原上洛断念を説得させる。(詳しく)。 | |
| 6.9−将軍退京&下坂。将軍容保に佩刀下賜。老中容保に残事務を委任。会津藩、在京幕府最高責任者に。(詳しく)。 | |
| ?−容保、小野・松坂を大坂に派遣し、東帰を諌止させる。 | |
| 6.11-所司代、淀藩主稲葉に | |
| 6.13−将軍大坂城を出て海路江戸へ。船上の老中、東帰反対の小野・松坂に書を与える。容保、小笠原率兵上洛調書を鷹司関白に報告。(詳しく) | |
| 6.14-老中、船中にて容保宛書簡を認める | |
| 6.17-容保・慶勝、相談し攘夷布告を促す建議 | |
| 6.18−関白鷹司が容保に「東下&攘夷の叡慮」の勅命 | |
| 6.21-尾張慶勝帰国。在京幕府の重職容保のみに(守護職の孤立)。(詳しく) | |
| 6.22-会津藩、幕府に種々の要請。中川宮家臣捕縛の朝廷内命を拒絶。 | |
| 6.23−足利木像鳩首事件犯人の処分決まる。大庭は遠島。 | |
| 6.25−尊攘激派による容保東下運動。関白鷹司、容保に「東下&攘夷の叡慮伝達」の勅命(偽勅)を伝達。容保、家臣と相談の上辞退の上奏。(詳しく) | |
| 6.26−容保、家臣に公卿を説得させる(野村を三条実美、小野・小室を鷹司関白、大野を徳大寺、広沢を豊岡、秋月を長谷に派遣) | |
| 6.27−前関白近衛、公用人大野を召して守護職容保に東下を望まない密勅を伝達。容保東下の「勅命」を辞する。(詳しく) | |
| 6.28−容保に代わって東下する小栗、長州に会津を除く計画があるので注意するよう助言(七) |
| 7月 | |
| 7.1−天皇、及び親王から残暑見舞いとして生鯛を容保に(七)。 | |
| 7.2−老中、容保に慶喜の後見職辞表を朝廷が裁可せぬよう斡旋依頼(七)。(詳しく)。 | |
| 7.8−幕府使者牧野鋼太郎到着。攘夷期限委任の将軍上奏書を朝廷に提出するよう老中の指示を伝える。容保、提出を留保する。 | |
| 7.16−牧野東帰。容保、老中へ将軍上奏書留保の親書を託し、家臣野村を同行させて老中に説明させる。また、慶喜上洛による攘夷委任の奏請を老中に建議 (詳しく) | |
| 7.21−二条右大臣、会津候用人を呼び出し、出向いた大野と内談。所司代以下に非常時は守護職の指示に入るようにとの幕命。(詳しく) | |
| 7.24−朝廷、因幡藩の嫌疑により、会津藩に28日の天覧馬揃えを命令。(詳しく) | |
| 7.26−容保、馬揃えの計画・規則を家老山崎を通じて諸隊に伝達。 | |
| 7.28−馬揃え、雨天順延。町奉行播磨、公用方広沢と内談。 | |
| 7.30−雨中、会津藩の天覧馬揃え。 | |
| 8月 | |
| 8.1−大阪城代、上京延引を容保を通して奏上。 | 8.12−壬生浪士、大和屋焼き討ち事件 |
| 8.2−孝明天皇、会津に深く頼もしく思う内旨を口達させる | |
| 8.5−会津藩ら五藩の天覧馬揃え | |
| 8.13−「攘夷親征」の詔公布(詳しく) | |
| 8.16−孝明天皇、中川宮に会津に処理させよとの密旨。(詳しく) | |
| 8.18−禁門の政変(詳しく) | |
| 8.19−七卿都落ち、朝廷、会桑・諸大名に攘夷督促の令(詳しく) | |
| 8.21−会・桑・壬生浪士、桂小五郎追放に出動(詳しく) | |
| 8.24−将軍、容保に差料下賜。(詳しく) | |
| 8.26−天皇、容保ら在京諸大名の召集。「18日以降の勅が真」と伝宣。(詳しく)朝廷、会津藩その外20余藩に一万両下賜。 | |
| 8.27−守護職より市民安堵の町触れ(詳しく) | |
| 8.28−容保、洛内外警備強化の朝命を諸藩に通知(家) | |
| 8.29−幕府、容保の領地増加(詳しく) | |
| 8.30−守護職に天誅組追討の達し(詳しく) | |
| 9月 | |
| 9.1−容保・攘夷別勅使に随行の命/郡山藩、会藩士を間者と誤り殺害 | 9.2−朝廷、堂上へ武家との交際禁止の回達 9.5−親兵解散/朝廷、十津川郷士に天誅組追討令 |
| 9.3-老中水野忠精、江戸留守居役を呼び出し、将軍手許金・金5万両下賜を伝える。3万両交付。残りの2万両は追って交付するので勘定奉行と打ち合わせるようにと。 | |
| 9.4−朝廷、守護職に天誅組追討督促(七)。容保、朝命を紀伊・津・彦根藩に通知。(家) | |
| 9.7−容保、攘夷別勅使を辞退(家)。 | |
| 9.18−新選組局長芹沢鴨暗殺(容保の指示という説あり)(詳しく) | |
| 9.23−会津公用方、近藤勇の東帰要請を断る (詳しく) | |
| 9.25−酒井雅楽頭、鎖港談判に関する幕府の書簡を容保に (詳しく) | |
| 9.26−幕府、容保に小倉藩処分、及び無二念打払い勅諚取り消しに関する朝廷周旋を依頼/新選組、長州の間者を殺害 (詳しく) | |
| 9.27−容保、横浜鎖港談判開始に関する後見職慶喜・老中の上奏書を奏上 (詳しく) | |
| 9.28−松平容保に対し、在京潜伏長州藩士取締の勅命 (詳しく) | |
| 9.29−江戸老中、横浜鎖港談判困難を容保に報せる (詳しく) |
| 10月 | |
| 10.1−伝奏、容保に浪士取締の命を幕府親藩に伝えさせる(外様へは朝廷が直接布告) (詳しく) |
|
| 10.2−幕府、会津藩に金5万両を下賜/薩摩藩父島津久光(公武合体派)入京 (詳しく) | |
| 10.5−久光、容保に8.18政変事の協力を謝す(家) | |
| 10.9−孝明天皇より松平容保に秘密の内賀(詳しく) | |
| 10.10−将軍家茂に上京の勅命/前尾張藩主(容保兄)徳川慶勝帰国。(詳しく) | |
| 10.11−容保参内。(家) 生野の乱。容保、近隣諸藩に追討を命ず。 | |
| 10.13−容保、老中に使者を送り、京都の事情を述べさせる(家) | |
| 10.15−新選組、禄位辞退の上書を会津藩公用方に提出 (詳しく)。老中水野忠精、江戸留守居役を呼び出し、陸奥国会津大沼預5万石を守護職在任中は私領同様に、委細は勘定奉行と打ち合わせるようにとの台命を伝える(家)。 | |
| 10.20−守護職松平容保に対し、非常の際の事前許可なし参内認められる。 (詳しく) | |
| 10.26−軍艦奉行並勝麟太郎、松平容保に拝謁/一橋慶喜、軍艦操練所から海路上洛の途に (詳しく) | |
| 10.27−守護職容保批判の張り紙 (詳しく) | |
| 11月 | |
| 11.1−老中連署して勅書奉戴を伝奏に送り、容保に書状を付与/容保、幕府目付け戸川に但馬(生野)鎮撫を命ずる (詳しく) | |
| 11.8−伝奏、朝命2通を容保に渡し、親藩に通知させる。(家) | |
| 11.12−慶喜、兵庫に着港/会津藩・新選組、将軍後見職慶喜警護の一員として下坂 | |
| 11.19−江戸城火事の報が届く。春嶽・宗城・久光、馬を走らせて施薬院の容保を訪ね、将軍上洛を謀る。(家) | |
| 11.26−慶喜入京/永井尚志、東下して将軍上洛を説く/幕議将軍上洛を決定 (詳しく) | |
| 11.27−容保参内、将軍上洛奏上/秋月悌次郎、長州入京許可の動きに抗議 (詳しく) | |
| 12月 | |
| 12.4−中川宮・容保批判の落書 | 12.27- 将軍家茂江戸を出立 (詳しく) |
| 12.7−容保ら、慶喜とともに中川宮擁護の奏聞書 | |
| 12.8−朝廷、浪士取締を厳達 | |
| 12.13−容保、施薬院から寺町淨花院へ(家譜は16日) (詳しく) | |
| 12.19−長州家老、四度目の入京嘆願・朝廷、慶喜と容保に諮問 (詳しく) | |
| 12.25−二条城にて初の有力諸侯会議 (詳しく) | |
| 12.30−一橋慶喜・松平春嶽(越)・松平容保(会)・山内容堂(土)・伊達宗城(宇)、朝廷参預に任命される。(詳しく) |
(藩)=会津藩庁記録、(七)=七年史、(家)=会津松平家譜
(守)=京都守護職始末、(続)=続再夢紀事、(慶)=徳川慶喜公伝
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