| 文久3(1863) |
<要約>
| 文久3年8月の禁門の政変で、長州藩と尊攘激派勢力は一掃された。その後、京都には後見職一橋慶喜、島津久光(薩摩藩国父)、松平春嶽(前総裁職)、伊達宗城(前宇和島藩主)、山内容堂(前土佐藩主)といった有力諸侯が続々と集まった(A.政変後の政局)。その狙いは文久3年春に果たせなかった公武合体体制の確立だった。薩摩藩の周旋の結果、彼ら有力諸侯は朝廷参与に任じられ、朝廷における国事の議論に参加することとなった。(B.参与会議の誕生) さらに、翌元治元年1月には将軍家茂が再上京し、やはり公武合体派の天皇の信任を受ける。公武合体体制がここに成立したのである。(C.公武合体体制の成立) |
| 幕府/ 京都 |
後見職:一橋慶喜 |
守護職:松平容保 |
所司代:稲葉正邦(淀)30歳 |
| 幕府/ 江戸 |
将軍:家茂 |
首席老中:水野忠精 32歳 | 老中:板倉勝静 |
| 朝廷 | 天皇:孝明 |
関白:鷹司輔熙 57歳 ⇒二条斉敬(12/23〜)48歳 |
国事扶助:中川宮 |
◆政変後の京都政局1.激派公卿・長州処分、反復の叡慮、親兵解散会薩−中川宮連合による禁門(8.18)の政変の結果、長州・尊攘激派勢力が一掃され、公武合体派が朝廷を掌握した。三条実美ら激派公卿の言動は「叡慮を矯むること容易ならざる次第」であったと批判され、都落ちした七卿の官位は停止され、残留した激派の更迭や処罰が行われた(★) また、26日には「是までは彼是真偽不分明の儀ありたれども、去る18日以後申し出づる儀は、朕が真実の存意なれば、諸藩一同心得違いあるべからず」という宸翰が諸大名に伝宣されました。要するに8.18政変以前の勅を否定するもので、当時、尊攘派には「反復の叡慮」と呼ばれた(★)。 長州藩に対しては、29日、藩主父子取調べ、九門内の藩士往来禁止、藩主父子の上京禁止、留守居・添役以外の藩士帰国が命じられた(★))。 さらに、9月5日には、薩摩・土佐両藩の親兵解散の建議が容れられ、親兵が解散になった。(←日付は『徳川慶喜公伝』、4日説『七年史』あり)。3月18日の親兵設置の幕命から200日足らずでの解散だった(親兵設置の経緯は★)。親兵が解散となると同時に、諸藩の京都守衛の場所が定められた。 2.攘夷派諸侯の退京と公武合体派諸侯の入京 政変で、尊攘激派勢力は一掃されたが、在京攘夷派諸侯の備前藩主池田茂政(いけだ・もちまさ)、因幡藩主池田慶徳(いけだ・よしのり)、広島藩主浅野長勲(あさの・ながこと)、米沢藩主上杉斉憲(うえすぎ・なりのり)らが攘夷を断念したわけではなかった。彼らは、また、長州藩・七卿の行動は攘夷の勅意を貫徹しようとする心がけからでたものであるとして、寛大な処分を求めた(★)。 一方、朝廷は、公武合体派政権を固めるため、島津久光、松平春嶽、松平容堂、伊達宗城ら公武合体派の有力諸侯を召し出した。上京の待ち望まれていた最大の実力者久光は藩兵(一説には約1万5千人)を率いて10月3日に入京した(★)。ついで同月18日には春嶽(★)、翌11月3日には宗城が入京した。入れ代わるように攘夷派諸侯は次々と退京していき(★)、京都では会・薩・越ら公武合体派諸侯が政局を動かすようになった。 11月16日、孝明天皇は、久光に密勅21か条を下したが、その内容は、8.18政変は天皇の意思であることの確認、無謀の攘夷の否定、幕府への政権委任の確認などで、旧来の公武合体体制を強く支持するものだった。(★) ◆横浜(一港)鎖港問題幕府は、8.18政変以前に、京都における攘夷親征説が激しいので、せめて横浜一港だけでも閉鎖して(交易は長崎・箱館に限定)違勅を逃れ、そのうえで局面打開を図ろうとしていた。しかし、政変後、幕府では、京都の情勢が危ういので何をおいても(鎖港を据え置いても)将軍が上洛し、閉鎖の利害も奏上すべきだという考えが支配的になっていた。一方、政変で激派公卿は追放されたものの、孝明天皇が頑固な攘夷主義者であることには変わらず、朝廷は幕府に対して、攘夷の督促を行った。後見職一橋慶喜、老中板倉勝静は、<最近の乱のもとは全て外国問題に起因する。鎖港の上にこそ上洛すべきである>と論じ、幕議は横浜鎖港で決まった。9月14日、幕府は鎖港談判を開始したが、交渉は難航した。関連:テーマ別文久3年■政変直後の京都政局 ■島津久光の召命と三度目の上京 ■横浜鎖港交渉 ■松平春嶽の再上京 ■長州・七卿処分 ■政変後の長州(内訌・進発準備・家老の上京・嘆願) ■参与会議へ |
| 幕府/ 京都 |
後見職:一橋慶喜 |
守護職:松平容保 |
所司代:稲葉正邦(淀)30歳 |
| 幕府/ 江戸 |
将軍:家茂 |
首席老中:水野忠精 32歳 | 老中:板倉勝静 |
| 朝廷 | 天皇:孝明 |
関白:鷹司輔熙 57歳 ⇒二条斉敬(12/23〜)48歳 |
国事扶助:中川宮 |
◆公武合体派諸侯の統一:朝廷参与会議の誕生1.後見職一橋慶喜の入京公武合体派大名が順次入京するなか、横浜鎖港交渉についてきくためとして朝廷の召命を受けていた後見職一橋慶喜が、11月26日、再上京した(こちら)。すでに京都には松平春嶽、島津久光、伊達宗城といった公武合体派大名が入京していた。慶喜はこれら公武合体派大名と集まって会議を開くようになった。 2.薩摩の主導による朝廷参与会議の誕生 12月5日、久光が、<公卿は優柔不断で、われわれ武家が決めても詮無く、このままではとうてい大事が行われがたい。賢明諸侯を朝廷の議奏に加えるべきである>と提案した(こちら)。一同賛成し、朝廷から沙汰がでるよう薩摩藩が工作することになった。薩摩藩の朝廷工作の結果、12月30日に慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城を参与に任命するとの沙汰が下りた。(久光は翌年1月13日に任命)。以後、参与は、朝議に参加し、公武合体派諸侯が国政の重要事項の決定に関与することになった(こちら)。これら公武合体派参与諸侯が集まって国政を評議した集まりを参与会議と呼ぶ。 |
| <ヒロ> 参与は朝廷の職ではなかった。また、参与会議は、将軍後見職の慶喜・守護職の容保という幕府の代表者が参加しているが、幕府の組織ではない。公武合体的な組織だが、幕藩体制下では認められなかった雄藩の代表の政治参加が基本であり、旧来の朝幕関係の枠組からは、はみ出すものだった。将軍・老中が江戸にいて不在のまま、京都には、新たな政治機関が、「雄藩」(薩摩藩)の主導で創出されたわけである。慶喜はこのような政治機関の誕生をどう考えていたのだろうか。 実は、春嶽は、薩摩藩が朝廷工作を行っている間に、慶喜を訪問し、慶喜から<時勢に適合した政体を目指すには幕習を脱した創業が必要である>との言質を引き出していた。さらに、春嶽は<創業は、現在、京都に出てきている諸侯と議論し、衆議一定の上確定すべきだ>と迫り、この点についても慶喜の同意を得ている(こちら)。久光や春嶽は、時勢に適合した新たな政体の第一段階として、諸侯から成る参与会議を推し進めていたわけだが、慶喜は積極的に動いてはいないものの、反対はしていなかった。 しかし、このような政治機関は、幕閣から快く思われるものではなく、慶喜は、幕閣・雄藩の間の板ばさみになっていった・・・。 関連:テーマ別文久3年■参与会議へ ■将軍・後見職の再上洛 |
| 幕府/京都 | 将軍:家茂 |
後見職:一橋慶喜 |
守護職:松平容保 |
| 老中:板倉勝静 |
所司代:稲葉正邦(淀)31歳 | ||
| 幕府/江戸 | 首席老中:水野忠精 33歳 |
| 朝廷 | 天皇:孝明 |
関白:二条斉敬 49歳 | 国事扶助:中川宮 |
| 朝廷 参与 |
一橋慶喜 |
松平容保 |
松平春嶽(前越前) |
| 島津久光(薩摩国父) |
山内容堂(前土佐) |
伊達宗城(前宇和島) |
◆将軍の二度目の上洛文久4年1月15日、上洛の勅命を受けていた将軍家茂が二度目の入京をした。召命は横浜鎖港談判の詳細をきくためとして10月10日に出ていた(★)が、幕府は前回の上洛が屈辱的だったことに加え、横浜鎖港交渉が行き詰まっていることもあり、将軍上洛には消極的で、一度は上洛を辞退した(★)。しかし、朝廷の再度に渡る召命(★)により、上洛を決定した(★)。なお、『徳川慶喜公伝』では、上洛命令は公武合体派大名が続々と入京しようとするなか、後見職と将軍を召し出して公武合体の実をあげようとする天皇の意思だとしている。◆天皇の信任と朝廷の優遇将軍家茂に対する朝廷の態度は、前回とはうってかわって好意的だった。孝明天皇は家茂入京翌日に勅使を二条城に派遣し、20日には内大臣宣下の内旨を下した。21日には、将軍家茂が参内し、孝明天皇から、公武一和を支持する勅喩(薩摩藩士の起草)を得た。「・・・<略>・・・ああ、汝は朕が赤子、朕汝を愛すること子の如し、汝朕を親しむこと父の如くせよ。その親睦の厚薄は天下挽回の成否に関す、あに重からずや。・・・<中略>・・・無謀の征夷は実に朕が好む所にあらず。然る所以の策略を議して以って朕に奏せよ。朕其可否を論ずること詳悉にして、以って一定不抜の国是を定むべし・・・<後略>」。 この日、家茂は、勅賜の板輿で御所の車寄まで乗り通すことが許可されるなど、朝廷側の待遇が前年の文久3年の上洛時とは格段の差だった。さらに、27日に家茂が参内すると、天皇は再度、宸翰(公武一和を謳い、激派公卿・長州を糾弾する内容)を下し、家茂を従一位に叙した。 文久3年春の将軍上洛時には果たせなかった公武合体体制がここに成立したのである。 |
(2002.4.12, 2005.4.20)
<主な参考文献>
『続再夢紀事』・『会津藩庁記録』・『鹿児島県史料』・『修訂防長回天史』・『昔夢会筆記』・『七年史』・『京都守護職始末』・『徳川慶喜公伝』・『維新史』『日本歴史大系 開国と幕末』・『幕末政治と倒幕運動』・『徳川慶喜増補版』