壬生界隈

新徳寺八木邸、前川邸、壬生寺光縁寺
黒竹家(カフェ・ド・武家屋敷)、南部邸跡


文久3年2月23日(1863年4月10日)、尊皇攘夷を本旨とする将軍上洛の警衛として募集された浪士組総勢約240名が、将軍に先立って京都入りしました。彼らは京都のはずれの壬生に入り、新徳寺、村会所、壬生郷士の八木源之丞、南部亀次郎宅など9軒に分宿しました。

浪士組の大半は清河八郎の建言を受けた朝廷の命令により東帰しますが、これに反発して残留した者もいました。芹沢鴨、近藤勇らです。彼らは壬生の八木邸・前川邸を屯所としたため壬生浪士と呼ばれました。後の新選組の母体となったグループです。このあと、元治元年に屯所を西本願寺に移転するまでの約2年間、壬生は新選組の活動拠点となりました。

関連ページ: 新選組かけあし事件簿文久3年


交通機関:阪急電鉄京都本線「阪急大宮駅」、京福電鉄嵐山本線「四条大宮駅」
京都バス(71、72、73系統)「四条大宮」


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