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陰の主役列伝


副長助勤 斎藤一


斎藤一(さいとうはじめ)は御家人の次男で剣の達人。無口な人だったといいます。

十代に口論の相手の旗本を殺害し、京都に逃げて剣術道場に身を寄せていました。

残留した浪士組の隊士募集に応募し、抜擢されて、新選組創設期からの最年少幹

部の一人となりました。幹部としての彼の表面的行動は近藤・反近藤で首尾一貫せ

ず、謎めいています。永倉とともに命を賭けて隊内廓正のための近藤批判を行ったか

と思えば、近藤の命を受けて数々の暗殺を実行したようです。尊皇派の伊東甲子太

郎らが新選組に加盟してからは、彼らに近づき、御陵衛士の新選組離脱に同行しまし

た。しかし、彼らの活動資金を盗んで新選組に反復し、密計を近藤に告げます。これを

受けて、新選組による伊東の暗殺及び油の小路の闘いが行われ、御陵衛士は崩壊し

ました。斎藤は近藤の腹心で間者だったともいいますが、真相は不明です。斎藤は、

甲州勝沼の戦の敗走後には、同志を家来扱いする近藤に反発して、永倉らとともに袂

を分かち、負傷隊士をまとめて会津に向かいました。会津では新たに組織された新選

組の隊長を務めて転戦し、敗走してきた土方と合流しますが、会津の敗色が濃くなった

とき、脱出する土方と対立。十数名の同志とともに会津に残留して戦い続け、落城後

は元会津藩士として生きました。 享年71歳。死期を悟った彼は布団の上に端座し、そ

のまま死を迎えたといいます。会津への誠を貫いた斎藤らしい、毅然とした最期でした。




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斎藤一のプロファイル

斎藤の基本データを表にまとめました。

斎藤一の事件簿

壬生浪士組参加から新選組瓦解・会津降伏までの約5年半の斎藤の足跡を、さまざまな史料を整理してご紹介します。

斎藤一のひょうばん

同時代人による斎藤の評判。

斎藤一と剣

永倉をして「無敵の剣」といわしめた斎藤の血風録。



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