| 書附を以て御歎願申上げ奉り候 井伊掃部頭(=直憲)儀、此度京都御守護御免、且つ又領地の内蒲生神崎ニ郡御用に上知仰せ渡され、誠以て家中一同驚入り候事に御座候。就いては右様仰せ付けられ候子細柄、且つ御歎願の筋等、幣藩重役迄段々申し出候えども、公命の儀は難易に拘らず、決して違背仕り間敷旨、先祖直孝以来遺言も之有り、且つ此の御変革の折柄、右様仰せ付けられ候儀は深き御子細も之有るべき儀と存じられ候えば、決して動揺相成らざる儀、種々理解申し聞かせ、拙者共、申立て候ことども、一切取上げ申さず候。 元来、掃部頭家の儀は、御譜代席中、過分の大禄を頂戴仕り、京都近くに指置かれ候儀は、権現様(の)深き思召し在らせられ、御深密之御用仰せ付けられ置き候儀に付き、二百年来、非常の節は人数繰出し方手配等、兼て容易罷り在り候事にて、士分の者は百石以下の小禄たりとも尽く馬を飼わせ、足軽小者に至るまで京都へ日着仕り候者ならでは召抱え申さぬ規則相立て置き候儀も、全く右御用蒙り居り候訳柄に御座候。 且つ安政(の)度、御守護一廉手厚く仕り候様仰せ出され候に付き、夫々人数を差出し置き、御所司代(の)御指図次第、何等の御用筋にても急度相勤めるべく心得に罷り在り候處、卒爾御免に相成り候仔細柄、何共相分り申さず。且つ又、ニ郡上知の儀も、彼地方続き仙台領、郡山領、其外一円の儀にも之無き掃部頭領内に限り候えば、是又御用柄一切相分り申さず候。 当掃部頭儀は幼年ながら、一昨年、格別の上意を以て遺領相違いなく下され置き、其の後も、毎々、御懇ろの上意を蒙り、当年は御大礼の上使も相勤め、官位等昇進仰せ付けられ候折柄、前件御守護御免二郡上知の儀は、全く先ず掃部頭在職中勤向きの儀は、家来共へは重役を初め申談じ候事一切これなし。すべて御公役方と評議の上、夫々 台命相伺い取計い候趣にて、在職中、彼れ是れ諫言仕り候家来共これ有り候えば、公辺の儀は歴々御役方御評決の上、御處置在らせられ候事故、決して其方共の案思に及ばぬ旨申聞候。 且つ公方様より誠忠の二大字御直筆にて賜り、猶又、一昨年三月三日登城の折柄狼藉に出逢い不慮の怪我致し候節(=桜田門外の変)も、上使として御若年寄、御用御側等、御指向け下され置き、天下の動揺に相成り候ては以ての外の儀に付き、一藩中忍び難きを忍び候様にと、御懇ろの御内沙汰下され置き、其の後も毎々御懇ろの上意を蒙り候えば、重役共、右の御趣意堅く相守り、且つ、国司外様方とも違い候家柄に候えば、幣藩より天下の騒擾を醸し候ては如何にも相済まぬ段、堅く申聞候に付き、君臣の大義を忘れ、腰抜け共の世評も承り伝え候えども、是まで妄挙仕らず、辛抱罷り在り候儀、深く 上意を重し奉り候故の儀に御座候。其の後も前條申上げ候次第にて、幼年の主人へ出格の思召しを以て、遺領も直様下され置き、上使御用・官位昇進等仰せ付けられ、誠に以て有難き上意の段深く拝載仕り、一統弥(いよいよ)増して上意を重し罷り在り候儀に御座候。 然る處、今日幼年之掃部頭へ右様存外之事共仰せ付けられ候儀は、先ず掃部頭在職中の御咎めにも有るべく候やと恐察仕り、愚昧の拙者共一統承服仕らず候。若し又、一藩上下腰抜者にて御守護覚束なく思召され候儀に候はば、一昨年来、 台命を重し深く慎み罷り在り候儀は、一統、心得違い仕り居り候儀に御座候や。若し又、当夏薩長ニ藩京師へ罷り出候以後、御守護向き不都合にも思召され候はば、只今まで御指揮なく御座候は、如何の御儀に御座候や。若し又、御守護向不行届きにて 輦下騒擾致し候儀を御咎め仰せ渡され候儀に御座候はば、其騒擾いたし者共は如何御処置遊ばされるべしや。右等不分明の儀にて存外のこと共仰せ渡され候様存じ奉り候に付き、有志の者申合せ重役共へ段々歎願の筋申し出候えども、前件の通り、唯 台命の重きと先祖直孝の遺言を相守り一切取上げ申さず候に付き、拙者共 一統、存意相違い仕り候より、拠無く国元立去り、恐れを顧みず御役場へ御歎願申上げ奉り候。抑六七年来、夷人渡来に付き、天下の議論種々相立て候えども、打払いの儀は、権現様以来の御定めにて日本武士の異議なき處に御座候。 然る處、一旦交易御許容に相成り候事は、公辺においても深き思召しあらせられ、一時応変の御処置にて行々は御定法どおり打払いおおせ出されるべき旨も承知罷り在り、是までにも天晴れ御用向き相勤め申すべしと武事相励み罷り在り候處、先ず、掃部頭逝去致され候後、姦臣長野主膳、宇津木六之丞等、重役木俣清左衛門、庵原助右衛門を誑り、兎角、侫柔韜?晦の者を相用い、忠勇武勇の士気を挫き、専ら太平を唱え追々国書を相醸し候に付き、有志の者憤激の余り、其罪を訴え出、当八月下旬右四人の者を■罰申し付けられ候。右仕置き済み、国政一新武備充実専一に相心得居り候處、公辺も大御変革在らせられ、弥攘夷の御新政抑せたてられ候折柄と伺い奉り候に付き、一藩殊更奮興仕り如何様御用筋にても急度相勤め、是まで腰抜け等の世評をも一洗仕り、 権現様以来の大恩を報い奉り、直政直孝の遺忠を続き、天晴れ公辺の柱石と復古仕るべく、一統勇み立ち罷り在り候處、存外の仰せ渡されに付き、一藩上下落胆泣血仕り候次第に御座候。 実に以て幣藩の儀は二百年来格別の上意を蒙り、格別の大禄を戴き、格別に御用筋相勤め申し居り候處、俄かに家格召上げられ、土地召上げられ候はば、従{玄玄}国気衰弱し、士心阻喪仕り、遂には御用筋相勤め難く相成り候ては、権現様以来、格別に思召し下され置き候御深意も消失仕るべき哉と嘆かわしき次第に存じ奉り候。唇亡ぶれば歯寒く、又、股を割いて腹に充るの譬えも御座候えば、拙者共、願い出で候存意、決して公命を拒み候儀に御座なく、厚く公儀を重し奉り候心得に御座候。尤も幣藩重役共、前条理解のみ申し居り候ては、有志の者共承服仕らず、行々一藩の騒勤(動?)にも及ぶべき哉と甚だもって心配仕り候に付き、則ち、拙者共、両人御歎願申し出候。何卒愚昧の微衷深く御賢察下され置き、御憐愍の御沙汰、仰出され下され置き候様、偏に願上げ奉り候。以上。 井伊掃部頭家来 加藤吉太夫 文久ニ壬戊年十月 出典:『続再夢紀事一』 関連: ◆文久2年11月7日(1862.12.27):【江】彦根藩士加藤吉太夫の自刃 |
■は変換できなかった旧字です。
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