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庭あやめ

by 鈴木巌氏(三樹三郎の孫に当る方)

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祖父は草花が好きであった。老後の生活を草花と共に過していた。祖父の作った色々の草花がいつも庭一面に咲いていた。私の覚えている頃は、祖父はすでに老衰していたので、充分な手入れもとどかず、丈夫な花だけが残って、弱い草花はすでに絶えていたものも多かったと思ふ。明治の末期から大正の始め頃であるの西洋草花といっても今から見れば原種に近いようなものばかりだった。それでも人々には珍しがられていた。ムシトリナデシコは毎年種子がこぼれては植えていた。余り美しい花ではないが、遠くからこの集団を眺めると中々きれいだ。ダリヤは一重の白に赤の覆輪咲き「連隊旗」という名であった。そのほか、松葉牡丹、モントフリジヤ、待宵草、キキョウ、鹿の子百合、スカシユリなどである。又芝生に混じって庭石蔦が五月頃から咲き出していた。私達はニワアヤメと云っていて、七ー八センチのアヤメを小さくしたような紅紫色の花と白っぽい花葉をつけるニタ種類であった。芝の上に背丈をちょっと伸ばし、芝生をちりばめるように咲いた。可愛い花である。私もこの花が好きであった。花もさることながら、終った花の後へ小さなまん丸い種子が極めて細い糸で釣ったようにぶら下がるのである。

祖父はふきのとう味噌が好きであった。季節が来ると母がよく祖父のために作ってあげた。ふきのとうをミジンにきざんで、味を付けた味噌と煮ながら和えるのである。ほろにがい味に野趣があって、うまいのであらうが子供の自分の私には、とても箸がつけられなかった。

蕗の苔は土をもたげて、出始めたなと思っている内に急に中から花が出て開いてしまう。ほんの短い期間しか賞味できない。或は保存食としてしばらく食べられるのかも知れない。この蕗の苔を母ととりに行った事がある。

杉の木立と真竹がうっそうと繁った、古い城跡である。空ぼりの続きに小さな池があった。昔城を攻められた時城のお姫様が敵の矢で片眼をい抜かれてこの池でかなしく落命したとか、その後この池の魚は片目のばかりであると云ふ伝説がある。それがあらぬか一番低いところにあって、辺りはとても陰気である。池の面では夏は菱の葉に覆はれイモリが沢山に住んでいた。その池の東側の傾斜地に蕗の苔が落葉をもたげて、淡緑色の丸い苺が、わずかに出始めている。掌へ乗せてふっくらとしたやわらかい触感は、本当にほほえましい。

その後も一度祖父が喜ぶであろうと思い、一人で採りに来た覚えがある。
(2004.8.7)

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