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2007&2005年 2004年 2003年 2002年 2001年

2007年の主な更新
・12/24「文久4」◆1/11(2.18)【京】参与(8)/長州処分:参与諸侯ら、征長戦参加大名を議定。/第2回朝廷参与会議/政事総裁職松平直克・老中水野忠精入京/
・12/21「テーマ別幕末日誌」のトップから各項目に直接飛べるようリンクを張りました。

・12/19「文久4」1/9(2.16)【京】参与(7)参与諸侯会合:容保の征長副将、春嶽の守護職、久光の幕政参画等を議定、慶喜の禁裏守衛総督就任が議論される/【京】朝廷、前勧修寺門主の伏見宮家復帰・還俗を許す勅、大原重徳を許す特旨
・12/18「文久4」1/8(2.15)【坂】将軍再上洛へ(26)将軍家茂、大坂上陸/【京】参与(6)第1回朝廷参与会議:春嶽・宗城・容保参内-前観修寺門主の親王宣下、久光の官位問題について下問(口答)・12/17「文久4」 1/7(2.14)【京】参与の動き(5)容堂、参与辞任が聞き入れられず/久光、朝廷に対して、将軍家茂に「至誠の綸言」と天皇の非を認める「宸翰」を下すことを建言。宸翰草稿も提出(実際に下された宸翰とほぼ同文)←薩摩藩の根回しだったのです!
・12/16「文久4」1/5(2.12)【京】参与(4)参与諸侯(慶喜・容保・春嶽・宗城)、朝議のため参内。書付の下問のみ。
・12/15「文久4」1/4(2.11)【京】在京諸侯参内/参与(3)参与諸侯(慶喜・容保・春嶽・宗城)、前勧修寺門主(→山科宮)の還俗を建言【長】直目付桂小五郎の職を免じ、京阪に潜伏させる■「今日」の始点の月(文久2年4月)の各記事に「前へ」「次へ」と人物アイコンを追加(こちら)(順次つけていきます)・12/14「文久4」1/3(2.10) 【京】参与(2)島津久光、伊達宗城に山内容堂の辞意について高崎猪太郎に対応させたいと提案する
・12/12文久4.1.2に 久光、横浜鎖港・同使節中止・武備充実を主張。幕府の方針を[姑息」と批判追加
・12/11「今日」再開。文久4.1.2(2.9)【京】参与(1)後見職慶喜宿舎にて2日間隔の参内を内決/容堂、参与の辞意を春嶽に伝える・12/10 「今日」文久4年1月2日〜21日の項目UP(「今日」の再開準備です).◆文久3.12.30(2.7)【京】参与会議へ(19)慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、朝議参与に任命される追加修正
・12/9「豆知識」「幕末人物、主要事件時の年齢対比表」に若干追加 「開国開城」「25:政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」の朝廷・幕府主要人物に年齢追加。(他章にも随時追加予定)
・12/7 「志士詩歌」「外国人襲撃事件(1)」に東禅寺事件で戦死した有賀半弥の詩歌をUP(手持ちの詩歌集どれにも載っていませんでした。管理人が探していることを知った方が貴重な情報を寄せてくださいましたm(..)m)
・5/18 (衛士館ですが)鈴木家所蔵の赤報隊関連史料解読文UP(こちら)。ブラウザーの「戻る」で戻ってください。


2005年の主な更新
・7/14 文久2「6/23(7.19):【江】春嶽、幕政参与辞任の内願を老中脇坂に。大目付大久保一翁にも挨拶/久光、勅意が貫徹しないことを慙愧する書を春嶽に遣わす&中山中左衛門、薩摩藩は邪魔者排除・武力による助勢の準備があると明かす/越前藩、登城再開の「条理」を探る【京】関白、九条尚忠から近衛忠煕に。(←薩摩藩の周旋)」追加修正
・7/13文久2「6/18:【江】勅諚(6)勅使大原、三度目の登城。老中、春嶽の総裁職就任承諾。慶喜の登用は難色/春嶽辞任を決意し登城とりやめ/◆6/22【江】容保ら、春嶽の登城を促す
・7/12「豆知識」「幕末人物、主要事件時の年齢対比表」に若干追加・修正。文久2「6/16:【江】勅諚(4)島津久光、老中脇坂安宅に対して勅諚尊奉を遊説 「6/17(7.13):【江】勅諚(5)幕議・勅諚は薩摩の私意から出るとみなし、慶喜登用を決さず/島津久光の薩摩藩主就任否決の幕議」に追加修正
・7/11文久2「6/13(7.9):【江】勅諚(3)勅使大原重徳、松平容保・松平春嶽・老中らと会し、回答催促。」に追加修正。「6/14(7.10):【江】勅諚(4)越前藩、春嶽の進退を評議(慶喜への嫌疑、薩摩藩への疑念、会津藩は?)」」up
・7/7テーマ別文久2「薩&越」 「6/9(7.5) 」に「久光の使者伊地知、越藩に重ねて助力を求める」追加
7/6「テーマ別文久2」「小楠」「7/8(8.3)【江】小楠・中根雪江、大久保一翁(忠寛)訪問。一翁、小楠の三策に感服」up/「薩&越」 6/3【江】薩摩藩使者伊地知貞馨(堀小太郎)、春嶽に先代斉彬の遺言として勅使及び久光の国事周旋への助力と久光との面談を求める」に追加「6/4【江】老中、春嶽と久光の面会を承諾」up
7/5「テーマ別文久2」「小楠」「7/6(1862.8.1)」に「横井小楠、江戸到着」を追加。
6/14「志士詩歌:生野の乱」微修正&多田弥太郎の歌追加 6/12 「志士詩歌:生野の乱」up
4/20 「開国開城:政変後の京都−参与会議の誕生と公武合体体制の成立」を3年ぶりに微修正。今後、参与会議にいたる動きを若干追加予定。我ながら3年前は越前藩の重要性をあまり認識していなかったことがよくわかりました^^;。禁門の政変のところの前にも、越前藩の挙藩上京計画を追加予定。
南米出張につき、更新はお休みm(..)m。
・2/13「今日」をお休みして時間ができたので、気になっていたサイトの整理整頓を開始。再整理のテーマは「お気楽」^^。(気づいたら箇所からちょこまかと修正)
◇文久3年末にたどりついたところで、かなりプレッシャーになっていた「今日」の更新はしばらくお休みm(..)m
・2/7「今日」文久3「12/30(2.7)【京】参与会議へ(19)慶喜・春嶽・容保・容堂・宗城、朝議参与に任命される
・2/5「今日」「12/28(2.5)【京】将軍再上洛(25)家茂、軍艦翔鶴丸で海路上京へ。/【京】参与会議へ(18)前土佐藩主山内容堂入京
・2/4「今日」「12/27(2.4)【江】将軍再上洛(24)将軍家茂江戸を出立。品川着/頼三樹三郎の墓碑建立を許す/【京】慶喜・春嶽、将軍長期滞在の必要性を確認
・2/3「今日」「12/24(1864.2.1)【京】参与会議へ(17)越前藩中根雪江(靱負)、一橋用人平岡円四郎と諸侯会議の運営方法を協議」12/25(2.2)【京】参与会議へ(18)二条城にて有力諸侯会議。朝廷参与について協議/横浜鎖港談判使節(4)前宇和島藩主伊達宗城、前越前藩主松平春嶽に使節派遣延期・諸侯会議で開国・鎖国決定を入説【京】越前藩主松平茂昭上京」「12/26(2.3)【京】中根雪江、慶喜訪問し、鎖港使節出発延期等を協議」
・2/4「今日」「12/27(2.4)【江】将軍再上洛(24)将軍家茂江戸を出立。品川着/頼三樹三郎の墓碑建立を許す/【京】慶喜・春嶽、将軍長期滞在の必要性を確認
・2/3「今日」「12/24(1864.2.1)【京】参与会議へ(17)越前藩中根雪江(靱負)、一橋用人平岡円四郎と諸侯会議の運営方法を協議」12/25(2.2)【京】参与会議へ(18)二条城にて有力諸侯会議。朝廷参与について協議/横浜鎖港談判使節(4)前宇和島藩主伊達宗城、前越前藩主松平春嶽に使節派遣延期・諸侯会議で開国・鎖国決定を入説【京】越前藩主松平茂昭上京」「12/26(2.3)【京】中根雪江、慶喜訪問し、鎖港使節出発延期等を協議」
・2/3今日」「12/21(1.29)【伏見】嘆願(23)勧修寺経理、藤森神社で井原の陳情を聴取/有栖川宮、井原に使者を遣わし、下坂して朝命を待つことを諭させる/【京】中川宮邸会議:慶喜・春嶽・宗城、慶喜らの朝廷参与、久光の叙任等を協議/」「12/22(1.30)【京】参与会議へ(16)春嶽、慶喜に幕習から脱した「創業」・政体の基本は衆議の上確定を確認、二条城の諸侯集会決定」「12/23(1.31)【京】朝廷、三条実美ら帰京主張の鷹司輔煕の関白罷免。二条斉敬、新関白に(慶応3年1月9日まで関白) 。徳大寺公純は右大臣、近衛忠房は内大臣。
・2/2「今日」「12/14(1.22)【京】嘆願(20)後見職邸で長州藩提出の書面を詮議、大久保利通列席。井原に帰国を命じることを決める。/長州家老井原、三度目の入京嘆願」「12/16(1.24)【京】嘆願(21)井原に帰国の朝命」「12/18(1.26)【京】将軍再上洛(21)中川宮・松平春嶽・伊達宗城、政事総裁職松平直克が上京の際は幕府の旧習への回復は非だと説得すること、島津久光叙任などを話し合う」「12/19(1.27)【京】 【伏見】嘆願(23)長州家老、四度目の入京嘆願/【京】慶喜・春嶽・宗城、伏見へ使者派遣・井原の口上聞き取りを評決/慶喜・容保、二条右大臣の諮問に対し、伏見に使者派遣すべきと答える」
・1/29「今日」12/9(1.17)【京】朝廷、慶喜に水戸藩士統率を委任/【江】将軍再上洛(18)勝、薩藩吉井幸輔に対し、大小目付が将軍上洛延期を主張し、幕議が紛糾している内情を報じる」「12/10(1.18)【京】将軍再上洛(19)春嶽・容保・宗城・久光ら連署で老中に将軍上洛を促す/【江】幕府、老中板倉に将軍上洛用掛を命じ、老中有馬道純に先発上京を命じる
・1/28「今日」「12/3(1.11)【京】孝明天皇、中川宮に疑心を起こさず扶助するよう命ず/嘆願(16)朝廷、伏見に執奏家雑掌を送り、聴取させる旨を達す「12/4(.1.12)【京】中川宮浮説(2)中川宮に浮説は気にせず扶助せよとの宸翰/中川宮・容保天誅の落書/【江】板倉随従(3)勝海舟、春嶽に書状。板倉上京周旋の困難を告げ、朝廷の沙汰を提案」「12/5(1.13)【京】参与会議へ(15)薩摩藩、賢諸侯を議奏にと提議。/中川宮浮説(3)在京諸侯連署の中川宮擁護の上書提出を決定「12/6(1.14)【京】将軍再上洛(16)慶喜、将軍上洛を促す上書/嘆願(17)長州家老井原、再度入京嘆願」12/7(1.15)【京】中川宮浮説(4)】慶喜・春嶽・容保・宗城・久光ら在京諸侯、朝廷に中川宮擁護の上書提出」「12/8(1.16)【京】慶喜、春嶽に、新総裁職松平直克が将軍上洛時に幕権回復を企図していることを告げ、その善後策を相談/朝廷、京都潜伏の長州人・浪士取り締まりを通達
・1/26「今日」「12/2(1.10)【江】鎖港使節()幕府、外国奉行支配組頭田辺太一らに横浜鎖港談判施設随行を命じる。/将軍再上洛(15)政事総裁職松平直克、容保に老中板倉勝静の将軍随従困難を述べ、後見職慶喜の帰府・江戸城の留守を任せることの周旋を依頼
・1/13幕末対比年表寛政9〜文久2年をいろいろ整理/「幕閣・幕臣列伝」コーナーUP。岡部長常大久保一翁の開明派幕臣が最初。
・1/9「今日」12/1(1.9)【京】嘆願(15)伏見の伊原、再び入京嘆願/慶喜・春嶽・宗城・久光、井原の趣意を聴取させるため、伏見に朝廷執次と所司代役人派遣することを決定
・1/8「今日」「11/29(1.8)【京】嘆願(14)春嶽、会津藩に井原の応接負担を提案。秋月、会藩と長藩は仇敵のような状況であると、これを断る」
・1/7「今日」「11/28(1.7)【京】嘆願(13)一橋慶喜・松平春嶽・伊達宗城、会藩公用方秋月悌次郎の強硬意見を容れ、長藩家老井原の入京不可を決める。
・1/6「今日」11/27(1.6)【京】嘆願(12)井原家老、伏見に到着/【江】将軍上洛を12月下旬と発表」/「11/8(12.18)【長】家老の入京嘆願(8)家老井原、奉勅始末&取調書提出に上京へ・久坂随従」に奉勅始末と取調書大意を追加
・1/5「今日」「11/23(1.2)【京】水戸藩主名代松平昭訓死去。」「11/26(1.5)【京】参与会議へ(14)将軍後見職慶喜入京。松平春嶽、慶喜と会談/【江】将軍再上洛(13)永井、着府して将軍上洛を説く/幕議将軍出発を12月下旬と内定
・1/4「今日」1月バージョンに更新
・1/1今日「11/19(12.29)【京】将軍再上洛(10)会津藩邸に春嶽・宗城・久光ら集会。江戸城火災による将軍上洛延引不可を議決/入京嘆願(10)乃美、再び入京許可を請う 「11/20(12.30)【京】将軍再上洛(11)越前藩と各藩から将軍上洛を促す使者を出すことを相談【江】吉井幸輔、勝に将軍上洛の勅周旋について相談する。」「11/21(12.31)【坂】慶喜、大坂城入城/【京】将軍再上洛(12)永井尚志東下

2004年 2003年 2002年 2001年 1999/2000年

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