1月の「今日の幕末」 幕末日誌文久3 開国開城 HP内検索 HPトップ
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| ■水戸藩 【京】文久3年11月23日(1864年1日2日)、水戸藩主徳川慶篤(及び将軍後見職一橋慶喜)の実弟、松平余四麿(昭訓)が死去しました。数え16歳でした。 昭訓は文久3年2月に藩主慶篤とともに上京し、3月25日に慶篤が将軍目代として東帰して以来、藩主名代ととして原市之進ら在京水戸藩士を統率して京都の守衛にあたっていました(こちら)。昭訓は母文明夫人(徳川斉昭の正妻有栖川宮登美子)から帰国を勧められていたものの「王事のため」と東下せず、病が重くなってからは「御所に向けて葬るように」との遺言をするほどだったそうです。 昭訓は勤王の功を称され、11月26日に従四位下に叙せられました。その死は翌元治元年5月まで伏せられ、弟の松平昭徳(=余八麿。のち民部大輔、徳川昭武)が看護と称して上京することになります。 <ヒロ> 昭訓の墓所は京都東山長楽寺の高台にあります。京都で亡くなった水戸藩士(原市之進・大場一真斎など)や頼山陽父子の墓も同寺にあります。 参考:『徳川慶喜公伝』2(2002.1.2) |
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