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「(前略)十九日には薩州島津三郎(薩摩藩国父島津久光)へも面談数刻に及び(こちら)、勝麟太郎(=勝海舟)へも両度接晤数刻費し候(こちらとこちら)。右薩麟の大意は、第一、一橋(=後見職一橋慶喜)を始め閣下・容堂・三郎並びに小子等会集、議論の上、皇国の為尽力、規則相立て、第一公武の親和等の事に御座候。橋公は来る廿六日発東の様承り候。海陸未だ承らず候。容堂は是非興病にてなり共、不日登京致され候様、尺翰を以て厳しく催促申し遣り候。先々月十八日変動(8.18の政変)の末、綱紀何分相立ち兼ね居り、どうか今般は京師の御都合も宜しく之有るべく、朝幕の御親睦も相整い申すべき哉と窃に恐悦に堪えざるの至り、閣下にも何分早々御登京在らせられ、御尽力の御相談も申し上げ奉りたく、夫(それ)のみ屈指待ち奉り候(後略)」(『続再夢紀事』の候文をさらに書き下しby素人の管理人、句読点は任意。原文として扱わないでください) |
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