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文久2年6月2日(1862.6.28)
【江】老中久世広周罷免。板倉勝静、幕閣の中心に。

■老中人事
【江】文久2年6月2日(1862年5月28日)、首席老中久世広周(大和守)が罷免されました。

久世は、桜田門外の変で大老井伊直弼が暗殺された後、安藤信正とともに幕閣をリードしてきましたが、4月には安藤が老中を罷免になっていました。安藤が罷免された理由は、『徳川慶喜公伝』によれば、和宮降嫁による公武合体路線・開国路線が尊攘派に指弾されていたことだといいます。特に坂下門外の変で水戸浪士らに襲撃されて以降、幕府役人にも罷免を取りざたする者がでていたそうです。しかし、実は、安藤は久世が航海遠略策の公武周旋を長州藩に任せたことが不満で、自ら辞めたとする説もあります(『幕府衰亡論』)。安藤はこの後、8月に不正があったとして二万石を削られ、致仕・永蟄居を命じられました。なお、戊辰戦争時には奥羽越列藩同盟に加わり、新政府軍と戦っています。

安藤を罷免した久世は、長井雅楽の航海遠略策が失敗すると病を理由に辞職を願い出ていましたが、この日、辞職願いが聞き入れられて罷免となりました

久世の辞職後、幕閣は3月に老中に就任したばかりの備中松山藩主板倉勝静がリードすることになりました。板倉は安政の大獄時、寺社奉行だったのですが、寛大な処分を訴えて井伊直弼に忌避され、職を解かれた人物でした。

関連:航海遠略策の失敗
◆文久2年5月5日−【京】長州藩中老長井雅楽の謗詞事件。 5月15日(1862.6.12)−【京】久光、勅使東下延期に反対/【江】大目付大久保忠寛・駒井朝温、春嶽に老中上洛中止を説く/長井雅楽、長州藩の国事周旋に春嶽の協力を請う 5月28日幕府、長州藩主毛利敬親の上洛を許可。

<参考>『再夢紀事・丁卯日記』・『徳川慶喜公伝』(2003.7.5)
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