9月の「今日の幕末」 事件:開国:開城(マクロな歴史) HP内検索 HPトップへ

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文久3年8月15日(1863.9.27):
【京】松平容保、老中に書簡
【京】朝廷、長州・加賀・肥後・薩摩・久留米・土佐藩に
行幸&親征御用金十万両の調達を命ず/
【坂】天誅組、堺到着。軍令を発す

■攘夷親征&禁門の政変
【京】文久3年8月15日(1863.9.27)、京都守護職松平容保(会津藩主)は、江戸の閣老に書簡を送りました。その大意は<時勢が極めて切迫し、突然親征の勅命が下るにいたった。しかし、命脈のあるかぎり非常の尽力をいたすつもりである。必ず後の一報を待たれよ>(口語訳・要約by管理人)。

<ヒロ>
このとき、既に、会津藩は在京薩摩藩・中川宮と連合しての政変計画を進めていました(こちら)。「非常の尽力」「後の一報」は政変を指すわけですが、書簡は極めて簡潔で、この間の事情や、具体的計画については記されていません。ゆっくり書簡を認めている時間もなかったでしょうが、わざと書かなかったのだという気がします。書簡が中途で激派の手に落ちることを警戒したともいえるでしょうし、万一政変が失敗したとき、幕府を巻き込まないための配慮だったのかもしれませんよね?

参考:『七年史』一(2001.9.27、2004.10.7)
***
【京】文久3年8月15日(1863.9.27)、朝廷、長州・加賀・肥後・薩摩・久留米・土佐藩に対し、同月27日を期限として行幸&親征費用十万両を調達するよう命じました

<ヒロ>
前日から激派浪士・諸藩士が学習院に出仕しており、そこで話された結果の朝命ではと思います。在京薩摩藩はこの朝命を非常に不快に思ったようです。 「京都政変ニ付奈良原幸五郎覚書」には、会薩連携による政変計画にいたった形勢として、攘夷親征の詔公布、激派による偽勅乱発、天誅・放火等に加えて、「其上此度行幸に付き、御家・加州・細川・久留米・土佐・長州へ御高割にて、十万金の献金、来る二十七日限り上納仕るべき旨、御別紙の通り仰せ付けられ」と記しています。

参考:『玉里島津家史料』ニ、『維新史料綱要』(2004.10.7)
関連:■「開国開城「大和行幸計画と「会薩−中川宮連合」による禁門(8.18)の政変」■テーマ別文久3年:「大和行幸と禁門の政変」」■守護職日誌文久3 ■薩摩藩日誌文久3

■天誅組
【坂】文久3年8月15日、天誅組は海路大坂を出発して堺に到着し、河内路へ向かいました。その途上、中山忠光は軍令を同志に示しました。

関連:■「開国開城」「大和の乱・生野の乱」■テーマ別文久3年:「天誅組
参考:『修補殉難録稿』前、『維新史料綱要』(2004.10.7)

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