幕末日誌トップ HPトップ

無断転載・引用・複写、及びやおい作品へのご利用は固くおことわりしますm(__)m。
他HP、同人誌・商業誌(創作も含む)、レポート等の参考にされた場合は
参考資料欄に泡沫のタイトルとアドレスを明記するなど著作権と論文作法を守ってください。

幕末日誌
<元治2/慶応1(1865)年>

◆=京都守護職・幕末のできごと ◇=御陵衛士(新選組)のできごと
(「今日の幕末」過去ログの再整理なので西暦が先にきています)


1月 2月 3月 4月 5月 6月 
7月 8月 9月 10月 11月 12月


元治2年1月
◆元治2年1月4日(1.31)−慶喜参内。天狗党鎮撫を賞される。将軍上洛の勅書。
◇元治2年1月8日(2.3)道頓堀ぜんざい屋事件
◇元治2年1月10日(2.5) 新選組谷三十郎、ぜんざい屋事件の報告を出す
◆◇元治2年1月11日(2.6)新選組、会津候賞賛&天誅予告状を張り出す
◆元治2年1月15日(2.10)-幕府、長州処分の江戸での決定&将軍進発延期を布令。慶勝、寛典と諸侯会議の開催を進言。五卿、筑前藩へ
◆元治2年1月18日(2.13)-田沼、入京
◆元治2年1月19日(2.14)禁裏守衛総督一橋慶喜、幕府に天狗党を引き渡し
◆元治2年1月25日(2.20)-幕府、参勤交替の復活を布告
◇元治2年年1月26日(2.21)新選組、六角源氏と名乗る一団を捕縛
◇元治2年1月27日(2.22) 新選組、六角源氏残党を捕縛
◆元治2年1月28日(2.22)−容保、慶喜に二条関白邸で外様召集猶予を求め、慶喜承諾。慶勝、慶喜に長州処分のため諸侯召集を求める。容保、慶喜に京都招集猶予を求める。
◆元治2年1月30日(2.25)−容保、東下願いを朝廷に提出/加賀藩、田沼に天狗党引渡し。


元治2年2月
◆元治2年2月1日(1865.2.26) 守護職容保の東下願い勅許
◆元治2年2月4日(1865.3.1)-容保東下をやめるべきとの内旨。
◆元治2年2月5日(1865.3.2)−会津候松平容保の東下勅許が撤回・天狗党処分始まる
◆元治2年2月6日(1865.3.3)−老中阿部・本庄の率兵上洛
◇元治2年2月9日(1865.3.6)-新選組副長土方、東下願いを容保に出すが却下
◆元治2年2月13日(1865.3.12)−幕府、総督・守護職の月1万両賜金を停止。容保に御符を下賜。
◆元治2年2月19日(1865.2.16)-朝廷、幕兵の御所内外の徘徊を禁止
◆元治2年2月22日(1865.3.19)-新選組副長山南、一説に脱走。老中、朝命で参内。慶喜召還を叱責。将軍上洛の勅書。
◆元治2年2月23日(1865.3.20)-新選組副長山南切腹。五卿、大宰府延寿王院へ容保の東下停止の勅命。
◆◇元治2年2月24日(1865.3.21)-老中阿部、帰府。老中本庄、下坂。山南葬儀
◇元治2年2月28日(1865.3.25)-西本願寺、新選組に寺の使用を許す
◆◇元治2年2月30日(1865.3.27)−土方、西本願寺移転の書簡。


元治2年3月
◆◇元治2年3月1日(1865.3.26)-容保、病につき黒谷に本陣移転。土方、屯所西本願寺移転を知らせる書簡。
◇元治2年3月20日1865.4.15)近藤、小島鹿之助に大石内蔵助の書幅を贈る
◇元治2年3月21日1865.4.16) 沖田総司、山南の死を知らせる
◆元治2年3月26日(1865.4.21)−祇園で火事
◆元治2年3月29日(1865.4.24)-老中、会藩への疑問氷解


慶応元年4月
◆元治2年4月2日(1865.4.26)−容保、将軍上洛要請のため公用人外島を東下させる。
◆元治2年4月5日(1865.4.29)−土方・伊東・斉藤、隊士募集の東下・江戸着。
◆元治2年4月6日(1865.4.30)−井深帰京。老中の反省を伝える
◆慶応元年4月7日1865.5.1)−慶応元年に改元
◆慶応元年4月8日(1865.5.2)−容保病状回復・参内。井深を東下させ、将軍上洛を促す。
◆慶応元年4月18日1865.5.12)−征長宣戦の令
◆慶応元年4月22日(1865.5.16)−公用人外島帰京。老中の返答。
◇慶応元年4月27日1865.5.21) 大阪市中、新選組に大めいわく 土方ら江戸出立。
◆慶応元年4月28日(1865.5.22)−朝議で警衛のため諸藩召集説起こるが一会桑の反対でやむ。容保召されて参内。病状回復を祝われる
◆慶応元年4月30(1865.5.24)−越前春嶽征長反対の建白


慶応元年5月
◆慶応元年5月6日(5.30)−幕府目付由比図書・会津藩公用人外島、江戸老中と将軍上洛について面談。入朝問題に容保の尽力を乞われる。
◆慶応元年5.10(6.3)−土方ら帰京。
◆慶応元年5.16(6.9)−将軍征長に江戸進発/会津藩への手当て支給開始
◆慶応元年5.18(6.11)−桑名候、老中同様に御用向き取り扱うよう幕命
◆慶応元年5.25(6.18)−新選組、藤井藍田捕縛
◆慶応元年5.28(6.21)−容保下坂



慶応元年閏5月
◆慶応元年閏5.14−新選組、河瀬太宰ら捕縛(膳所事件)
◆慶応元年閏5.16−尾張徳川慶勝、将軍に先発
◆慶応元年閏5.22−家茂、入京参内。一会桑に頼るよう、長州処分を清算するようにとの勅愉。また戸田越前守、戸田大和守に優賞の内意
◆慶応元年閏5.23−会、防長評議に参加を求められる。容保・定敬、将軍に慰労される将軍、慶喜を忌む発言があり、容保これをいさめる。
◆慶応元年閏5.24−将軍二条城出発
◆慶応元年閏5.25−大坂城へ
◆慶応元年閏5.28−容保下坂

この頃、伊東、井上謙三赦免に口きき


慶応元年6月
◆慶応元年6.15−容保帰京
◆慶応元年6.17−一会桑、老中阿部、参内して長州支藩召喚を奏請・勅許され
◆慶応元年6.29−容保下坂
◆慶応元年6.17−一会桑、老中阿部、参内して長州支藩召喚を奏請・勅許される
◆慶応元年6.23−幕府、毛利淡路・吉川監物に上坂命。


慶応元年7月
◇1865年9月11日(慶応元年7月22日)、土方、征長出征の井上松五郎を激励


慶応元年8月
◆慶応元年8.1−容保帰京。加俸の命。
◆慶応元年8.4−薩摩藩大久保、征長は会津のアイデア等会津批判
◆慶応元年8.8−新選組武田観流斎、薩摩藩士を補殺
◆慶応元年8.18−幕府、広島藩に再度召喚を命ず


慶応元年9月
◆慶応元年9.1−京都下立売に守護職邸完成。
◆慶応元年9.4−小笠原長行、老中格に任命
◆慶応元年9.15(11.3)−将軍上京
◆慶応元年9.16(11.4)−4国艦隊、兵庫沖来泊。容保、登城。
◆慶応元年9.21−将軍参内。朝議で防長の幕府委任(将軍進発)
◆慶応元年9.22−長州再征の勅許

◆慶応元年9.23−幕府、四国代表と会談
◆慶応元年9.25−大阪幕府(老中阿部正外・松前崇弘)、兵庫開港を独断決定
◆慶応元年9.26−慶喜、大阪城到着。阿部・松永と激論・家茂落涙。
◆慶応元年9.27−春嶽、征長の不可を論ずる
◆慶応元年9.29−朝議により、阿部・松前の改易・謹慎命令
◆慶応元年9.28−公用方広沢帰京
◆慶応元年9.29−慶喜、容保・定敬と関白に面談して下坂の暇を乞うが、容保には許可下りず。


慶応元年10月
◆慶応元年10.1−幕府、両老中罷免&謹慎令。10.2−条約勅許&兵庫開港の秦請と将軍職辞表を提出(関白二条斉敬)/容保、伏見に尾張藩徳川茂徳に入朝・奏請の理由を尋ねる。
◆慶応元年10.2−老中小笠原、容保に開港勅許・将軍職譲位の奏請内容を明かす。
◆慶応元年10.3−家茂、大阪を発って陸路江戸へ。龍馬の勅許にかんする書簡
◆慶応元年10.4−家茂、伏見到着。慶喜の説得。二条城へ。
◆慶応元年10.5−慶喜、条約勅許を獲得。
◆慶応元年10.7−岩倉、一会批判
◆慶応元年10.10−小笠原、老中に再任。
◆慶応元年10.12−会津、外島を通して薩との関係修復はかるも大久保拒否
◆慶応元年10.13−西郷、幕府の因循を批判
◆慶応元年10.22−老中に板倉勝静再任
◆慶応元年10.25−西郷・小松、率兵入京
◆慶応元年10.29−近藤、佐藤と小島に書簡


慶応元年11月
◆慶応元年11.3(12.20)−将軍下坂
◆慶応元年11.4(12.21)−近藤・伊東ら長州訊問使に同行して西下のため京都出発。◆慶応元年11.4(12.21)−幕府、長州再征の諸藩部署決定。長州訊問使京都出立。膳所十一士処分。
◆慶応元年11.20(1.6)−訊問使、国泰寺で長州使者宍戸備後介を訊問
◆慶応元年11.25(1.11)−長州副使木梨彦右衛門広島到着
◆慶応元年11.30(1.16)−永井、再び訊問


慶応元年12月
◆慶応元年12.16(2.1)−訊問使、広島出立。岩国藩、近藤らの入国拒絶
◆慶応元年12.17(2.2)−老中小笠原、越前藩中根に薩の上京は対会津。不和について語る。千種、岩倉宛に中川宮の勢力を嘆く。
◆慶応元年12.22(2.7)−近藤帰京。会津藩に対して長州寛典を説く。

日誌トップ HPトップ