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洛中(1)河原町・木屋町
京都市役所周辺(二条〜四条)
<上京・中京区>

四条河原町界隈には史跡が集中しています。
歩きやすいように、河原町通り⇒木屋町通り、四条⇒二条という順に並べました。

中岡慎太郎寓居跡

四条河原町の東側。北へ一つ目と二つ目の通りの間。現在はあぶら取り屋。近江屋跡・土佐藩邸跡は歩いてすぐ。

◆ 近江屋跡(坂本・中岡遭難地)

河原町通の西側。蛸薬師通(一つ目の信号)の手前。現在は京阪交通社。土佐藩邸跡は歩いてすぐ。幕末研究家の石田孝喜さんの話によると、近江屋跡は実際は京阪交通社ではなく、一軒横だとのこと。

 

関連:◆慶応3年11月15日-坂本龍馬・中岡慎太郎暗殺。新選組犯行説流れる

古高俊太郎寓居(枡屋)跡

四条河原町の東側。北へ一つ目の通りを東側(木屋町方面)に歩く。現在は日本料理屋「志る幸」。

当時、枡屋という古物商があったが、枡屋の主は、実は志士古高俊太郎であった。元治元年6月5日早朝、新選組が枡屋を襲い、古高を逮捕した。一説に土方歳三による凄惨な拷問の末、古高は長州系志士の京都放火・天皇の長州への移動計画を告白したという。この自白がきっかけとなり、池田屋事件が起こった。しかし、京都放火計画の実在性に疑問を投げかける学者も存在する(その場合は、志士弾圧の口実にするための新選組(/守護職)のでっちあげになるのだろう)

関連:◆元治1年6月5日:池田屋事件(1)6月6日:池田屋事件(2)

土佐稲荷

河原町蛸薬師の東側。北へ一つ目の通り(丸善の手前)を木屋町方面に歩く。幕末当時は土佐藩邸内にあり、土佐藩では地元信者の参詣のために通り抜けを許可していたそうだ。境内に坂本龍馬・中岡慎太郎像がある。


土佐藩邸跡

土佐稲荷を過ぎてさらに東へ。土佐藩邸跡は木屋町通蛸薬師南の立誠小学校跡にあたる。碑は高瀬川沿いにある。また、蛸薬師橋の北西に立つ建物は土佐藩の役宅があったらしい。以前は、この建物の1階に土佐四天王像があった。最近見かけないけれど、どうしたんだろう・・・?

 

本間精一郎遭難地

木屋町通の東側。土佐藩邸跡の立誠小学校跡の南端の向い。
本間精一郎は越後出身浪士。文久2年4月、島津久光上洛時は挙兵を期待して清河八郎と行動をともにし、7月には岩倉具視など公武合体派公卿の排斥運動の中心となったが、閏8月に暗殺され、その首は四条河原に晒された。捨て札には薩長土を讒訴し、有志の間を離間した・・・などの告発が記されていたそうだ。暗殺者としては土佐藩の岡田以蔵・薩摩藩田中新兵衛の名が挙がっている。ただし、『維新史』では捨て札通りの「裏切行為があったのか、但しは冤罪の下に同志軋轢の犠牲に供せられたのか、此間の事情は甚だ明確ではない」としている。

関連:文久2年閏8月20日−本間精一郎暗殺

酢屋(海援隊屯所跡)

三条河原町の一つ手前(南)の通り(通称「龍馬通り」)の北側にある。幕末当時の酢屋は土佐藩出入りの材木商。龍馬が近江屋に移るまで酢屋の2階に潜伏していて、海援隊の屯所となっていた。ご当主から聞いた話によれば、当時、酢屋さんの南側は高瀬川の舟入になっていたそうな。退屈した龍馬が、舟入に積んである材木に向って窓からピストルを打っていたらしい。また、新選組がよく探索にやってきたとも伝わっているそうだ。

現在、龍馬のいた2階はギャラリーになっている。毎年、龍馬が亡くなった33歳より若い人を対象に、「龍馬への手紙」を募集して、命日前後に展示している。

◆ 池田屋跡

三条河原町の東側。河原町通の北側にあり、現在はぱちんこ屋になっている。元治元年6月5日、新選組の襲撃があり、会合を開いていた志士たちと激闘になった。池田屋石碑の寄贈者は佐々木フサ(石碑の裏側に記してある)。池田屋は維新後、佐々木氏に買い取られて旅館として営業されていた。その佐々木さんである。幕末研究家の石田孝喜さんの話によると、昔は池田屋の写真を撮ろうとすると縁起が悪いからやめてくれといわれたくらいの場所だったそうだ。

関連:◆元治1年6月5日:池田屋事件(1)6月6日:池田屋事件(2)

大村益次郎・佐久間象山遭難の碑

三条小橋を渡るとその北東に佐久間象山と大村益次郎遭難の碑が立っている。実際に遭難したのは木屋町御池上ルにある。

武市瑞山(半平太)寓居跡(料亭「丹虎」跡)

三条小橋を渡って木屋町を北上すると東側に寓居跡がある。現在、料亭「金茶寮」。幕末には「丹虎」という料亭だった。

吉村寅太郎寓居跡

同じく木屋町三条上ル。「武市瑞山寓居(=当時は料亭丹虎)の隣である。

関連:「今日」文久3年8月14日-天誅組決起。 「開国開城」大和(天誅組)の乱 「志士詩歌

長州藩邸跡

河原町御池の東北の角。現在は京都ホテル。河原町通りに面した玄関の脇に桂小五郎像がある。

   

池田屋からは歩くとほんの数分の距離である。禁門の変後に京都を焼き尽くしたどんどん焼けの火の一つはここから出ている。

関連:◆元治1年6月5日:池田屋事件(1)6月6日:池田屋事件(2) 7月19日−禁門(蛤御門)の変勃発

桂小五郎・幾松寓居跡

木屋町御池上ルの東側。現在は料理旅館「幾松」になっている。

佐久間象山遭難地碑

木屋町御池上ルの西側。ちょうど長州藩邸跡の高瀬川をはさんだ向いになる。

大村益次郎遭難地

木屋町御池上ルの西側。佐久間象山遭難地碑の隣にある。

高瀬舟一之舟入

彦根藩邸跡

準備中

先斗町


高杉晋作遊興の茶屋跡

山縣有朋第二別邸(第二無燐庵)

   

現在は「がんこ二条苑」、がんこ寿司チェーンの料亭となっている。庭の散策もできる。

幾松(京弁当)、維新庵(会席)

幾松は桂小五郎寓居跡の料亭。高いけれど噂では桂小五郎が隠れていた部屋なども見学できるらしい。

維新庵は幾松の別館。料亭の材料で上品なランチ(京風幕の内)がいただけます。見た目にもおいしいです♪しかも、ランチに維新関係の人物の名前がついていて・・・値段は、安い順に、桂小五郎、佐久間象山、大村益次郎、坂本龍馬、西郷隆盛、幾松(謎のランキング:笑)、一番安い桂小五郎ランチ(980円)も十分おいしいです^^。
HP:ぐるナビ

志る幸(白みそ汁)

古高俊太郎寓居跡。京風の白みそ汁のお店(赤みそもあるけど、絶対白みそがおすすめ)。利休弁当が有名だけど、みそ汁単品でもOK.。みそ汁の具は自分で選ぶことができる。カキやおとしいもなど。でも、店の主人がとにかく無愛想^^;。
HP:YAHOOグルメ

おばんざい・おみつ

おばんざいは京都の家庭料理(おかず)のこと。「おみつ」は小さな家庭的なお店だけど、グルメ本でよく紹介されているようだ。旬なおばんざいが手ごろな値段でいただけました。おでんが有名らしいけれど、わたしが行ったのは夏。コロッケ、豚の角煮がおいしかった^^。おばさんもとても気さく♪
HP:「おみつ」のHP

お茶漬けの食べられる洋食屋・ビストロ喜遊里

高瀬川沿いにとっても素敵なお茶漬け屋さんを発見!トッピングは京都のお漬け物各種にノリ、あられなど。ごはんはおひつに入っていてお代わり自由。あまりのおいしさに、思わずお代わりしてしまった(笑)。
HP:YAHOOグルメ

左近太郎

高瀬川沿い。町屋づくりでいい感じ。でも・・・うわさの志士カクテルが5種類だけ〜・・・それが、竜馬・晋作・勝海舟・幾松・左近太郎って^^;。HP:YAHOOグルメ

木屋町鳥せい

祇園で鳥せいを見つけることができず、がっくりしていたら、木屋町で見つけたので入ってみた。祇園鳥せいとはメニューが違う模様。おいしかったけど、けいはんがなくて残念(けいはん代わりに、雑炊もいけます^^)。
HP:ぐるナビ

お鷹茶屋(豆腐料理)

京はやしや(茶雑炊)

茶房龍庵

喫茶室嘉木

梅園

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